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福岡高等裁判所 昭和25年(う)893号 判決 1950年11月07日

控訴人 被告人 馬場豊三

辯護人 坪池隆

検察官 山本石樹関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人坪池隆の控訴趣意は、末尾添附の書面に記載の通りである。

之に対し当裁判所は次の様に判断する。

第一点について。

記録につき調査するのに、原審か証拠として挙示する司法警察員作成にかゝを谷口進前田武夫の各第一回供述調書中同人等の供述記載を彼此考え合せると、被告人が本件犯行当夜燒酎を飲み始めたのは午後六時半頃のことであり、本件犯行を為したのは午後十二時過頃のことであつて、この間約六時間近くを経過しているものと認められる情況にあり、尚原審第一回公判調書中被告人の供述記載によれば、被告人が右約六時間近くの間に飲んだ燒酎の量は約六合位と認められるところ、同供述記載並びに検察官事務取扱副検事作成にかゝる被告人の第一回供述調書中同人の供述記載によれば、被告人は平素燒酎二三合位を嗜み本件犯行より数年前の軍人時代には酒一升位を嗜んでいたことが明らかである。而して上記本件犯行当夜被告人が攝取した燒酎の量右攝取に要した時間被告人の平素の酒量、及び司法警察員作成にかかる被告人の自首調書中同人の供述記載の内容に徴し認め得べき被告人が本件犯行前後の模様をその直後において比較的詳細に記憶していた事実等を綜合すれば、司法警察員作成にかかる被告人の供述調書中同人の供述として「自分は普通より醉つてはいたが意識のない様にはなつていなかつた」と記載されている通り、被告人が本件犯行当時心身喪失の状態に在つたものとは認め難いから、右第一点の論旨は理由がない。

第二点について。

記録につき調査するのに、司法警察員作成にかゝる被告人の供述調書中同人の供述記載により明らかな通り、被告人が被害者の胸部に対しその胸部たることを認識し乍ら竹細工用小刀を以て突剌した事実自体に徴し、原判示の如く被告人に殺意があつたことを認定し得るのであつて、原審第二回公判調書中証人久保田兼義の供述記載に照しても右供述調書記載の供述は任意に為されたものと認められ右供述記載を以て所論の如く架空の作文とは認め難く、その他所論の様な事情を考慮に容れても必ずしも右殺意を否定するに足りないから原判決にはこの点に関し事実の誤認乃至法令の適用を誤つた違法はなく、右第二点の論旨も亦理由がない。

第三点について。

既に第二点に関し説示した通り被告人の本件犯行につき殺意を認定することができる以上、傷害の意思の有無に関し原判決を非議する本論旨はこれを採用するに足らない。

第四点について。

記録につき諸般の事情を考慮するのに、原判決が本件殺人罪につき被告人を懲役四年に処したのは洵に止むを得ない所であつて右量刑を以て不当なものと認め難いから、右第四点の論旨も亦理由がない。

以上の如く、本件控訴趣意は何れもその理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴はこれを棄却すべきものである。仍て主文の様に判決する。

(裁判長判事 谷本寛 判事 竹下利之右衞門 判事 吉田信孝)

弁護人坪池隆の控訴趣意

原裁判所は被告人は昭和二十四年十一月二日自宅で友人前田武夫等と会飲中午後十一時半頃黒谷敏夫が酒に醉うて居つた侭一座に加わり「主がシヨウケはラッパの口のことして使わるゝかい」等罵られた初は辛抱して使つて呉れと宥めて居つたけれども「お前は去年肺病で死なうとしたそうであるが其時なぜ死ななかつたか」「ちつた銭を出して買われる様なとを作れ」等口穢く悪口を言はれたので立腹して「お前は俺のシヨウケを幾つ買うたか」等と言い返し口論の挙く「お前のようなどは早く帰れ」と言つた処「オイ負けたか負けたのしやろ」と言われたので愈々昂奮し座席背後の小机に置いてあつた竹細工用小刀を脅かすつもりで右手に取つて正座すると「ヤイ突ききるか突くなら突いて見よ」と言はれたのでカツトなり黒谷を殺害しようと決意し右小刀を以て其の真前に座つて居る黒谷の正面より同人の胸部を突剌し云々死亡させ何て殺害の目的を達したものであると判示された。

併し右判決は全く事実を誤認し被告人は無罪であるに係わらず、法令に反して有罪の言渡を為し且量刑亦不当過重の違法あるものと信ずる左に詳述する。

第一点被告人が黒谷敏夫を小刀を以て刺傷し其結果死に至らしめた事は相違ない処である。凡そ人か自己の限度量以上の飲酒をした場合に於て自己を喪い心神の喪失を来し無意識の行為を敢てする事は実験則の示す処である。本件に於ける被告人の行為も亦同様であつた。被告人は現役軍人であつた当時は一升酒を飲んで居たが被告人の検事に対する第一回供述調書参考人馬場静子、同中野国夫、同谷口進、同前田武夫の各口述調書によると、其後肋膜炎を病み復員後は仕事も出来ず医師から禁酒を命ぜられて居たが闘病生活からやつと解放されて少し宛竹細工の仕事に励んで居た際、平素世話になつて居た親友前田武夫、谷口進外一名を招いて酒宴を催し当初二升の燒酎を飲んで相当銘酊して居た処に、平素少しの面識あるに過ぎない黒谷敏夫が訪ねて来た、其処で更に一升を追加して合計三升を飲んで居るが、後の一升は主として被告人と黒谷が飲んだ事が窺われる。

元来会心の友と飲む酒の快よさ所謂醉心地は恐らく之を体験した者のみの知る甘美の世界である。従つて少量の酒よく直に陶然忘我の境に彷徨せしめる事は汎く人の知る処である。本件に付て見れば被告人は医師に隠れて秘かに飲酒して居たといへ少量二三合であり夫れすら毎日飲酒して居たのでなく当時病は癒り僅かながら他人に金銭の立替も出来る立場となり、稍心広くなつて居た際更に会心の友を招いて会飲した酒で、而も強烈な燒酎二升を四人で飲んだのであるから平均五合となり適量以上飲んだ事になる処へ、更に前記の様に被害者黒谷が来たので一升を追加して飲んで居る。而も追加した右一升は残三人は其場に醉潰れたので其殆んどは被告人と黒谷二名に於て飲んだ訳であり、量は少くとも合計七八合を飲んだ事になる。被告人か検察庁円城寺事務官に対し「(昭和二十四年十一月九日第一回供述調書)」云々「其晩の事はよく考へて見ますが相当燒酎を呑んでおりまして醉つておりましたのではつきりした記憶はありません」云々同年十一月十一日山本副検事に対する第一回供述書に於て云々「山口医者から酒は止められて居ましたが、好きでしたから医者に内緒で呑んで居ました一人で二三合位ものめば寝てしまう位であります。夫れでも相手がよくて気持かよければおつき合は出来ます。其時は一合か二合はよけいに呑みます」云々五問、「相手の気持のよい時は醉いますか」答「そんな時はとてもよいます」云々更に関係人中野国夫は同年十一月四日参考人として巡査大石儀に対し「云々私が呑み初めたのは午後六時三十分頃」云々「七時半か八時頃一升呑んだ時黒谷敏夫さんが庭から這入つて来ました」云々之に対し被告人は前掲(昭和二十四年十一月十一日供述調書)山本副検事に対し六「云々中野は黒谷より遅れて来たか或は一緒に来たかでありまして」云々と答えて頭脳の朦朧であつた事を示して居る。是に依つても本件当夜被告人は朋友等と共に飲酒したので十二分に酔い殆ど前後を忘却し心神喪失の状態にあつた事が推認され且此様な事情は実験則に依つても証明し得るところである。

然るに原審は漫然被告人は当時心神喪失の状態に在つたとの証拠はないと排斥して不当に証拠に対し目を覆い有罪の判決を為した違法がある。

第二点被告人は被害者黒谷敏夫に対し毫厘の殺意なく且未必的の故意すらも有して居らず即ち犯罪の意思がなかつたものである。事実の認定は証拠に依るべき事は謂う迄もない。

然るに原審は被告人に殺害の意思があつたものとし関係人の供述書及領置物件を証拠として引用せられたが右証拠の全部に付仔細に点検しても原判決認定の様な被告人に殺意ありと認むべき証拠を見出し得ない許りか、反つて原審引用の諸般の証拠は被告人の犯罪の意思なく無罪であるべき事を充分に証明して居る事を看取する事が出来る。本件被告人の刺傷行為は第一点に於て列記した様に被告人が醉余無意識の裡に突発的に刺傷せられたものであり、犯罪の意思は全然無かつたのである。苟も人間一人が殺害されるには深い原因か強い動機が必ず先行されねばならない。之は心理的にも実験則にも証明せられる処である。今之を本件に就て見ると被告人が被害者黒谷を殺害せねばならない遠因も近因もなく又動機もない。証拠によれば被告人は勿論関係人谷口進、黒谷ユキヱ、中野国夫、前田武夫、馬場静子の各供述の何処を見ても当夜被告人と被害者黒谷との間に若干の口論めいた事はあつてもそれは何れも酒呑等の特有である声高に言い合うものに過ぎない事は明に認め得、何等険悪な空気もなく況や掴み合う様の事も全然存せない事も明であり、又判示の口争いを以て殺害を決せしむるに足る悪罵とも考えられない。被告人が黒谷の所謂暴言めいた言葉に対し憤激の状況も記録全体を見て全然発見する事が出来ない。酒席の状勢や空気が上記の様に憤激的のものであつたとすれば、第一襖一重の隣室に眠つても居なかつた被告人の妻静子が気付くべき筈である事は勿論であり況や同室に居た前田武夫、谷口進等は何れも「しもた」との声のみで臥て居た両名が起上つた事に徴しても其以前には人を殺す程の動機となる激しい口論もなく勿論激闘もあつて居ない事が明瞭に見得られる。

原判決に説示の双方の言葉は其何れの一つを取つても人を殺害するに足る決意を為す程の憎悪すべき言葉でもない。本件は全く被告人の無意識状態に於ける醉余の無意識行為に外ならない。仮りに無意識行為でないとしても犯罪の意思は全くないものである。被告人は昭和二十四年十一月九日の検察官及原審公判廷に於て黒谷を刺いた事の記憶なき事を供述し、同年十一月四日司法警察官に対する供述は午前八時頃から夜十一時頃迄食事以外は「こうでなければならぬではないか」と理屈詰めにて取調べられたものであり、(被告人原審公判廷陳述)而も右調書(司法警察官分)中問答一八中云々「三尺位後方の座机の上に竹細工用の小刀を置いて居ましたから膝を立て机の方にいざりより右手に小刀を取り」云々「先方は半向き位に私の方を向いて私は七分位先方の方に向いて足先を立てる様な座り方で座り同時に右手で先方の胸を」云々とあり更に同調書中問「小刀の握り方は」答「刄が下の方に向う様に右手でしつかり柄を握り腹の処につけて構えました」云々、実に其場の光景を微に入り細を穿つて詳細に供述して居る。之は果して気持よく充分に酩酊して頭は朦朧として居る人の言葉であり得るだろうか。明かに実験則は之を否定するものである。之は全く作文という外はないと信ずる。同調書は措信されないものである。而て更に同調書によれば被告人は「おどすつもりでありましたが」云々と述べて居るが「殺すつもりで」とは一言もいつて居ない「何を」と突きましたとの供述が真意になされたと仮定しても「何を」という言葉の裡にひそむ心理は「唯突く」という意味以外の何物でもなく相手方を殺害するという複雑した心理であつたと拡張解釈する事は許されない。如此突差の場合に「何を」と怒気を発し一突きする間隙に殺害するが如き複雑微妙の意思ありと解する事が心学理的にも首肯し得ない事は勿論である。況や更に同調書中問「突く時の気持は」答「私は最初小刀を机から取りましたのは小刀を取り突く構えをすれば先方は之に恐れてまあその様に腹を立てなくともよいではないかと先方から折れて出て謝る位に思つて小刀を取り右手に持つて元座に居たところ云々「突ききるなら突いて見よ」といつて馬鹿にしますので腹を立てまして、「何を突ききるたいという気持でありました」問「胸を突けばどうなるか」答「私は云々日頃から胸をやられるなら助らないと知つて居ましたが其時は其様な事は考えませんでした」と供述して居る。之に依つても当時被告人の行為が仮りに無意識状態に於て為されたものでないとしても又黒谷を威す考えはあつたとしても殺害する考えは勿論未必的の意思すら全然有せなかつた事が明瞭である。

次に同調書及各関係人の供述によると被告人は被害者黒谷を一突きして「ハツ」と目醒め所謂覚醒状態となり泣き伏した事が看得られる。此行動が又被告人に殺害の意思がない許りか傷害の意思すら無かつた事が看取し得られる。若し被告人に黒谷を殺傷害の意思があつたとすれば、第二、第三と傷害行為を追増すべき事も実験則の証明する処である。然るに係わらず被告人は唯一突きに止まり「しまつた」と泣きくずれた行動は正に被告人の本然の姿の善良さが画き出されたものといえる許りか、犯意が無かつた事が証明されるものと信ずる。更に現場に居た参考人前田武夫は同年十一月四日司法警察官大石巡査に対し被告人は黒谷を刺傷した後云々問答六「馬場さんは黒谷さんの方を見てこらえてくれ自分が悪かつたと言いながら馬場さんは「自分も情けない」と云つて居りました」云々同人の同年十一月二十一日前田巡査に対する第二供述に於て云々問「ではそんなに悪口を云つて居た黒谷さんをその悪口故馬場さんは殺さなければならぬ程であつたと思いますか」答「悪口故であつたら殺すまでもしなくてもよかろうと思います」云々と供述して居り更に被告人の自首調書に依つても云々「十一私は黒谷さんを最初から殺す意思はなく余りのゝしられたのでこんな結果になつて云々」と供述して居り、其後の司法警察員乃至検察事務官同検察官に対する被告人供述の価値が如何にあろうと事犯最初になされた自首調書の右記載は正に被告人の真意のものを伝えて居る事は間違いないと確信する。是に依ても被告人は本件殺害の意思のなかつた事は正に明瞭であるといわねばならない。然るに係らず原審は如上の証拠を顧ず漫然証拠によらないで殺害の意思あつたものとして刑法第百九十九条に問擬して実刑を言渡したのは事実の誤認あるは勿論採証の法則に反し法令の適用を誤るに至つた違法があると確信する。(原審説示の検証調書の記載領置物件等が直に有罪の証拠となり得ない事は論ずる迄もない)

第三点被告人は上記第三点記載のように殺害の意思が無かつた許りでなく傷害の意思すら無かつたものである。然し仮りに被告人に傷害致死の違法行為があつたとしても検察官は予備的にすら其主張をして居ないので此点に関しては裁判の対象とならないものと信ずる。

第四点原審は被告人の行為を殺人罪として懲役四年の実刑を科せられた。併し其量刑は著く不当と信ずる。本件に於て被害者黒谷敏夫の人物性格行状等は関係人其妻黒谷ユキヱすら昭和二十四年十一月十四日司法警察員江崎巡査に対し「云々主人は酒がすきで呑めば梯子酒となり」云々「唯口が悪く」云々「本年七月頃主人が酒を二三日呑み歩き」云々「酒を呑めば醉いつぶれて外所に泊り」云々「夫れに腹が立つたので実家に帰り」云々と述べ其他関係人も同様同人が酒癖の悪るかつた事を述べ之に反し被告人が善良であり俳句等を嗜み村人に愛せられて居た事が明瞭であり、本件当日も黒谷は被告人と殆ど面識もないのに醉余とはいへ被告人等が甘飲快談の席にちん入し若干の悪罵を為したに係わらず、被告人は其性格の善良によるとはいへ能く其悪口に堪へ主人としての接待に努め同人の為め更に妻をして一升の焼酎を求めしめて款待して居る。招かざる客が会心の友等との宴席に列する時の不愉快さは茲に喋々という迄もないに係わらず、被告人は上記の様に接待して居る。之に依り是を見れば本件の被害者は黒谷でなく被告人であると謂うも過言でない。他人の宅に無断侵入して傍若無人の振舞をして居る。仮りに被告人に故意があつたとしても原審の量刑は重きに失し而も如上の事情あるに係わらず、被告人の自首による酌量を為して居ないのは裁判所の権限だというには余りにも如上の事情を無視した人情の美と法律の規定を無視した不法の判決といわねばならない。

更に本件に対しては被告人自身及其家族並に親族は其原因と事情の如何とを論せず、苟も人の生命を断つて居る這般の出来事に対し大いに恐縮し同人の部落民も亦被告人に対する同情と被害事実の重大とに鑑み村駐在員谷口角次、村会議員堀昌光谷口忠雄等が被告側の旨を受け被害者黒谷の両親及妻を直に慰問し被告の姉婿石原良蔵と一所に葬式前夜酒一升を呈して夜伽を為し葬式当日は酒三升と包金一千円を香典として仏前に供へ其後右黒谷の実父及妻等と同人方で和解の話合を為し結局(当日酒一升を提供)前記仲裁人は被告人の親族が粒々苦心の末金策した金参万円を慰藉料の包金として黒谷の霊前に呈供して黒谷側は被告人側の誠意を謝して被害者自身も責任がある事を認めて隔意なく双方の道義的責任は芽出度解決したものである。此事実は原審に於ける堀昌登の証言に依つても明瞭である(証人黒谷ユキヱの証言中香典参万円は不知といつて居るが、之は偽りである。)

以上の事実は正に相当減刑の上執行猶予の判決を与う場合に該当するものと確信せられる。本件は実に偶然突発の出来事で計画的の悪性のものでなく加害者被害者双方に殊更なる悪意又は増悪怨恨関係があつたものでもない。部落民の多大の同情ある所以でもある。如上事件の発生事情及被告人が自首した事実並に被告人の性格犯罪後の結末関係等彼是綜合する時は正に法律が酌量減刑を認め更に執行猶予の規定を設けた法意に鑑みる時は仮りに無罪の判決せらるべきものでないとしても執行猶予の裁判あるべきに係わらず原判決は余りにも量刑過重の違法あるものと確信する。

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